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日本の戦後移民として最悪の結果を招いたドミニカ共和国移民。官主導の移民であったにもかかわらずずさんな事前調査と移民後の対応。249世帯1319人の多くは別の国へ移民するか、日本に戻るかを迫られ一部がドミニカに留まったのであるが、その留まった者とその子孫によって7年前日本政府を相手に裁判を起こし、責任追及と損害賠償を求めた。裁判者は政府の無策ぶり(国の法的義務違反)を認定したが、損害賠償に関しては時効を理由に棄却した。170名の原告団は控訴したが、政府が首相の謝罪談話と見舞金の支払い等を発表したことで和解が成立し、小泉首相との面会も実現した。また、移民先では大統領もこのことを歓迎し、日本人移民数十人が官邸に招かれた。
いずれにしても、このドミニカだけではなくブラジルやボリビア、パラグアイやアルゼンチンでも「約束の肥沃な土地」が「悲惨な不毛の土地」だったという事例はいくつかある。ただ、このカリブ海の島国は全体的に土地が耕作に適しておらず可耕地が21%で同じ島で隣接しているハイチは世界でも最貧国で可耕地が今でも20%以下である。こうした状況の中、「カリブの楽園が地獄になった」背景が伺える。他の南米諸国ではまだ逃げ道があり、親族や知人を頼って別の国や移住地に「避難」し、何とか再出発することができたのである。
今回の小泉首相の談話で「みなさんの苦労は想像を超えるものがある。政府として反省すべき点がある」と言って謝罪したことは大きな異議があるが、日本の一般の方々や日本に在住している南米日系就労者を何らかの形でサポートしている者もこのことをもっときちんと理解するためには、明治から大正、昭和から平成までの歴史をもっと多面的にみながら、海外移民を選択せねばならなかった理由や社会的?経済的諸事情等を把握する必要がある。
また、戦前?戦後海外へ移民した多くの日本人には「日本人としての誇り」、「日本人としての志」、「日本人としての品格」というようなものが強くあり、現代日本人主に若者からは「貧乏臭くて時代遅れ」と言われてしまうかもしれないが、そうした要素が多くの苦難を乗越えるための原動力になったことを忘れてはならない。同じく、東南アジアや満州の開拓団員として海外に移民した人達も同様である。
ドミニカ共和国:
○カリブ海の島、1492年コロンブスの到達によって発見される。
○面積:4万8千平方キロ(九州の約1.4倍) ○人口:890万人
○首都:サントドミンゴ (人口:270万人)
○住民:白人と黒人の混血75%、白人16%、黒人11%
○公用語:スペイン語 ○宗教:カトリック教徒
○政治体制:共和制 元首大統領 議会は二院制
○国内総生産: 290億ドル(05年) ○一人当たり所得:3.000ドル
○小学校就学率:87.4% ○中学就学率:52.7%
○失業率:18%(半失業状態も含む)
○平均寿命率:男性66.9歳 女性74.2歳
○輸出:57億ドル 輸入:78億ドル (04年統計)
(砂糖、ニッケル、タバコ、観光収入が主な外貨源)
MUSASHI No 52, Mayo-Agosto de 2006.
c J.Alberto Matsumoto-IDEA NETWORK
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