アルゼンチン、中南米と日本
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7月から10月の間の記念日

1)8月17日  英雄「San Martin将軍が亡くなった日」

  サンマルティン(ホセ・フランシスコ・デ・サンマルティン JOSE FRANCISCO DE SAN MARTIN)将軍は、1778年2月25日、アルゼンチン東部のコリエンテス州、ジャペジューという町で生まれた。8歳から父親の転勤でスペインで教育を受けることになるが、少年時代から軍に入隊する。実戦で昇進し、1812年にブエノスアイレスに戻ったときには、中佐の階級であった。独立戦争に参加するために、一番先に編成するのが機動性の強い「騎馬隊(Granaderos a Caballo)」であった。

スペインからの独立を果たすため、政府からの任命で最高司令官としてアルゼンチン領土をはじめ、チリとペルーをも独立に導く。様々な困難を乗り越え、最後には南米地域全体の新体制について、英雄のシモン・ボリバル将軍と1822年7月に4時間にわたる会談を行うが、これを機にサンマルティン将軍は全ての職を辞任し、ブエノスアイレスに戻り、1824年には、内線に包まれていたアルゼンチンを去る。

1829年に一度、ブエノスアイレスに戻るのだが、あまりにも自国が混乱状態にあったため、隣のウルグアイに留まり、ヨーロッパに戻ってしまうのである。1850年8月17日、72歳の年でフランスで亡くなる。

2)9月11日 Dia del Maestro 教員の日

  19世紀後半(1868-74)、アルゼンチンの大統領にまでなったDomingo Faustino Sarmientoの死を偲んで記念日とされるのが9月11日である。教育者としての実績、信念、執念を讃えて「教員の日」として指定されている。同氏は 1811年、San Juan州の貧しい家庭に生まれたが、4歳の時にはもうスラスラ読むことができたと伝えられている。15歳の時に小学校を設立し、教育者として大きな功績を残す。その後、軍人として、ジャーナリストとして、そして政治家・外交官としも活躍するが、当時のRosas政権の中では敵視されチリで亡命生活を長年おくることになる。その最中、アメリカとヨーロッパに渡るが、これらの国々で得た知識や体験は後から政治家として活用する。州知事になったときには初等教育の義務教育制度を制定し、大統領として就任したときにはその制度を全国レベルに広げ、教員用の専門図書館、サンファン大学、海軍及び陸軍士官学校等を設立した。第一回目の国勢調査も実施し、国策として海外からの移民を促進した(インフラ整備や科学の発展のために海外の専門職員も多く契約した)。

  作家として、Facundo、Recuerdos de Provincia, Viaje, Educacion Popular, Civilizacion y Barbarie等があるが、中には当時としてはかなり過激な内容であったため政権との対立や大きな議論を起こす。

http://www.me.gov.ar/efeme/sarmiento/biografia.html
http://www.clarin.com.ar/diario/especiales/sarmiento/

その他、9月21日は「Dia del Estudiante学生の日」であり、10月19日は「Dia de la madre 母の日」である。

 
 
 
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