1976年の軍事クーデタによって、それまで政権を担っていたペロン党のIsabel Peron大統領が失脚し、追放された。軍政は83年まで続いたが、きっかけは1982年マルビーナス(フォークランド)戦争の敗北によって、ガルチェリ将軍の政権が退陣を余儀なくされたことである。77年から80年ぐらいまでの間に、アルゼンチンもバブルを体験し、その後インフレに陥る。1983年の民政移管選挙で急進党のラウル・アルフォンシン候補が当選し大統領に就任する。それまでの軍政権の責任者を数多くの人権弾圧に関係したとして裁き、政治的に大きな成果を得る(1986年12月に、連邦高等裁判所は陸軍将軍だったビデラ及びビオラ元大統領らを終身刑にした)。しかし、経済政策の失敗の連続で89年には年率5.000%のハイパーインフレを記録する。政権運営が困難になり、大統領として当選していたカルロス・メネム次期大統領に政権委譲を早める。メネムは、ペロン党の出身であるにもかかわらず、それまでのポピュリズム的な国内産業保護策とは一転し、市場を開放し「聖域」とされていた公共サービスを運営していた国営企業や公団を廃止・民営化した。インフレも完全に抑制し、経済を軌道に乗せた。
1994年、制憲議会が招集され、大統領に一回限りの連続再選(任期を6年から4年に短縮した)を認める憲法改正を承認した。絶好調であったメネム大統領は、95年5月の大統領選で圧勝し、二期目の政権を果たした。しかし、1999年10月の大統領選では、中道左派の野党連合のDe La Rua候補が勝利したが、連合内での勢力争いや政策不一致、そして上院での贈収賄疑惑問題などによって、連合の中心人物であったAlvarez副大統領が1年以内に辞職した。経済大臣も数人交代させられ、結果的には、Menem政権で兌換制度を導入したエコノミストのCavallo氏が、今年に入って入閣したが、条件として一部の政策実施のために特別権限を要求した。いわゆる閣議や議会の承認なしに実施できる権限である。大統領もこれを了承したが、結果的には不十分で政権は崩壊した。大統領自身の政策運営能力、連立勢力との調整能力に問題があると指摘され、いかなる施策も効力を発揮しない状態に陥った。
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アルゼンチンの主要データ |
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- 近年の政治情勢 |
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- 近年の経済情勢 |
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アルゼンチンの豊富な資源の象徴-農牧業 |
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